自然に健康になれる環境づくりについて

津下 一代 氏
日本栄養大学 教授
スマート・ライフ・プロジェクト推進委員会委員長 / アワード審査委員

1983年、名古屋大学医学部医学科卒業、国立名古屋病院、名古屋大学第一内科にて糖尿病、肥満症、内分泌疾患の診療、運動療法や患者教育の研究に従事。
1993年愛知県総合保健センター、2000年 あいち健康の森健康科学総合センター、2011年センター長を経て、2020年女子栄養大学(現 日本栄養大学)特任教授、2025年より教授。
厚生労働省健康日本21(第二次、第三次)策定ならびに推進専門部会、保険者による健診・保健指導の在り方検討会などにおいて、健康づくり・生活習慣病対策などの政策立案にかかわる。
スポーツ庁スポーツ審議会健康スポーツ部会、経済産業省 健康・医療新産業協議会、および健康経営推進検討会の委員を務め、健康寿命の延伸に向けた具体的な施策推進をライフワークとしている。
Q.「自然に健康になれる環境づくり」とは、簡単に言うとどういうことなのでしょうか?
A.一言で言えば、「意志の力で頑張らなくても、ふつうに暮らしているだけで自然と健康になれる社会」を作ることです。
私たちはこれまで、無意識のうちに「自然と不健康になる環境」を作り上げてしまっていました。移動手段の発達や働き方の変化による運動不足、安さや手軽さを優先した食生活による野菜不足など、便利さと引き換えに健康を損ねやすい環境になり、結果として生活習慣病などを招いてしまったのです。
これに対し、従来は「毎日8千歩歩きましょう」「野菜をあと100g食べましょう」といった、個人の努力や意志に頼る「健康づくり」が中心でした。もちろんそれも大切ですが、忙しい日々の中で誰もが実践し続けるのは簡単ではありません。
だからこそ、個人の頑張りだけに頼るのをやめ、人々が置かれている「環境の土台」そのものを整えていこうという考え方に大きな注目が集まっているのです。
Q.津下先生は長年、健康日本21に関わってこられましたが、その中で今回のテーマ「自然に健康になれる環境づくり」に注目するようになった経緯を教えてください。
A.これまで「健康日本21」では、正しい知識の発信や健診・保健指導を通じ、意識と行動を変えていただく取り組みに注力してきました。一定の手応えはあったものの、自覚症状がない段階では「健康は後回し」になりやすいという限界も実感してきました。また、個人の意志に頼りすぎると「できないことで自分を責めてしまい、かえって健康づくりから遠ざかってしまう」という逆効果が生じることもありました。知識を広める「教育」だけでは、社会全体の健康を底上げするのは難しいと感じたのです。
そうはいっても「環境を変えるのは費用もかかるし難しいのでは」と悩んでいた時に出会ったのが、WHOの「すべての政策に健康を(Health in All Policies)」という方針や、環境整備に関する研究成果でした。さらに、人の行動をさりげなく促す「ナッジ」の考え方を知り、大掛かりな改革でなくとも「小さな工夫から環境は変えられる」と確信し、このテーマに関心を持つようになりました。
Q.「自然に健康になれる環境づくり」として様々なやり方があるかと思いますが、特に印象的な事例はありますか?
A.ウォーカブルなまちづくりや自転車道の整備など、行政や企業がトップダウンで取り組む大規模な環境づくりも増えており、非常に心強く感じています。
一方で、現場のちょっとしたアイデアから生まれた工夫にも面白いものがたくさんあります。

例えば、あえて遠くの駐車場を使うと特典がもらえる仕組みや、「会議は1〜2階上の部屋で行う」といったルール作りです。日常の導線の中で、自然と身体活動が増える工夫ですね。また、自動販売機でお茶や無糖飲料を一番買いやすい目線の高さに並べ替えるだけでも、選択が変わってきます。食事面では、社員食堂や飲食店で「ヘルシー」と強調せず、日替わり定食の塩分をこっそり控えめにしたり野菜を増量したりするアプローチが印象的です。利用者はただ「美味しい!」と食べているだけなのに、気づけば塩分控えめで栄養バランスが整っている。
こうした「我慢」を感じさせず、生活の中でいつの間にか健康になれる仕掛けこそが、この取り組みの醍醐味だと思います。
Q.企業や自治体が「自然に健康になれる環境」をつくろうとする際、最初の一歩として何から始めるのがおすすめですか?
A.おすすめなのは、「日常の小さなハードル(邪魔もの)を取り除くこと」と「無意識の選択肢(デフォルト)を整えること」の2点です。
まずは「日頃どんな行動をとっているか」を観察し、当事者目線で課題を探ることが出発点になります。
ある自治体では住民とまち歩きを行い、「日陰やベンチが少ない」「古いトイレしかなく立ち寄りにくい」といった声を見出しました。

私自身、東海道を完歩した経験がありますが、沿道にお花が飾られていたり人が歩いていたりするだけで、格段に歩きやすくなると実感しました。
職場の例では、暗かった階段を明るくして社員の作品を飾り「歩きたくなる空間」に変えたところや、売店の陳列を見直して高カロリーなお菓子のついで買いを減らした例があります。
「健康になろう!」と大々的なスローガンを掲げる前に、まずは身の回りの行動を観察すること。その上で「どうすれば楽に、楽しく健康的な選択ができるか」を小さな工夫から考えてみるのがおすすめです。
Q.企業・団体・自治体がSLPに参画する意義について、審査員の立場からどう感じていますか?
A.「健康寿命をのばそう!アワード」の審査委員を長く務める中で、地域や職場で「自然に健康になれる環境づくり」に挑む多くの素晴らしい事例に出会ってきました。「やらされ感」ではなく、仕掛ける側も参加する側も楽しんでいるのが印象的です。
SLPに参画する一番の意義は、自社や自自治体に活かせるヒントが見つかることです。健康づくりの形は組織の規模や地域性によって様々ですが、他者の工夫に触れることで「うちならこう応用できる」というアイデアが得られます。
また、ぜひアワードへの応募にも挑戦していただきたいですね。申請書を書く過程で「なぜ取り組んできたのか」「課題をどう乗り越えたか」を言語化・整理でき、次の展開への確かな足がかりになります。
アワードを通じて全国で健康づくりに取り組む仲間と繋がり、交流できるのも大きな魅力です。
Q.最後に、これから自然に健康になれる環境づくりに取り組む読者や企業・団体・自治体へメッセージをお願いします。
A.「自然に健康になれる環境づくり」は、これからの社会に不可欠なアプローチです。ぜひワクワクしながら、小さな工夫から挑戦していただきたいと思います。
ただし、一つ留意したいのは「仕掛けの慣れ(Decay)」です。ナッジなどの工夫は新鮮さがあるうちは効果を発揮しますが、時が経つと人々が慣れてしまい、効果が薄れていく側面があります。
だからこそ「一度仕掛けを作って終わり」にするのではなく、人々の反応を見ながら定期的にアップデートしたり、工夫を重ねていったりする継続的な視点が欠かせません。また、環境づくりは単なる「手段」です。大切なのは、その環境を通じて人々が「心地よい」「歩くのが楽しい」「食事が美味しい」と感じ、心身ともに豊かに暮らせるようになることです。
難しく捉えすぎる必要はありません。現場の声を聴き、変化を楽しみながら、誰もが無理なく健やかに暮らせる社会を一緒に作っていきましょう。応援しています!